『In God's House』上映とトーク

第7回 さるくびとシネマ【立春編】
 『In God's House』上映とトーク
 日時: 2012年02月06日(月)18:00−20:15
 場所: 京都市東山いきいき市民活動センター
 参加: 18名

 京都で活動を続ける「グローバリゼーションとひとの移動映画祭」。公式プログはここ
 
 『In God's House』(2006年、ホシノ・リナ監督作品)の上映に合わせてトークセッションに呼んでいただいた。映画の公式サイトはここ(英語サイト)。この映画にからめてのトークは3回目になる。
 サンフランシスコを舞台に、アジア系教会に関わるレズビアン・ゲイと、その親の証言を描き出したドキュメンタリー。基本的には、キリスト教会に向けた「啓発映画」なので、日本とは背景が異なるのでわかりにくい部分もある。ということで、以下について簡単に説明した後に、映画の感想も交えてのシェアリングとなった。15分くらいで話した内容はこんな感じ(当日レジュメより抜粋)。


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  • 映画の背景

■なぜこの映画がつくられたのか?: ドキュメンタリー制作のプロジェクトとニーズ
■米国のキリスト教での一例:ジョージ・マイケルの緊急入院に「死の祈り」を捧げた人々のニュース
プロテスタント主流教会のなかでのLGBT: アジア人の不可視性/白人ゲイ男性中心の組織
アジア系アメリカ人レズビアン・ゲイというダブル・マイノリティ

  • 映画を観て考えさせられること

■「家族」というユニット:“結婚”
 →“正しい”家族に対する“オルタナティブな”家族という位置づけ


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 わたし自身、この映画に違和感があるのは、異性愛規範の強いキリスト教に対して(ここのところ“強い”という単純な話ではなく、キリスト教の存立構造に異性愛主義が埋め込まれているのではないか、ということをずっと考えてはいるのだけれど)、映画が描き出すのは、周囲の異性愛者の人たち(レズビアン・ゲイの子どもがいる親たち、牧師たち)が、同性愛者の葛藤と苦悩の後に自己受容していく様子を、どのように受け入れていくか、ということ。合州国だけではないのだけれど、キリスト教のあり方として、このパターンは少なくはない。そこで用いられるのは、「男+女」というカップリングではなく、「男+男」、「女+女」のカップリングもアリだ、という戦略。つまりは、やはりカップルとして描き出されてしまうという点だ。
 異性愛カップルを「家族」の「正しいかたち」とし、それ以外を許容しない人たちに対し、「いや、ほかにも家族のかたちはある」ということを提示していくわけだが、結局、カップル主義という点では同じこと。

 一緒にトークセッションを担当した菊地夏野さんが「反婚同盟」というグループについて触れてくれたこともあり、参加者の人たちから、そのあたりの話しが出たのも、おもしろいことだった。京都での「反婚パレード」を主催したひとりである方からは「婚姻制度だけではなく、つがいを称揚するあり方自体に疑問を投げかける」ことの必要性が語られたり、日本では未成年の養子縁組は法的に許容されないので子どもと一緒に生活していくにはどのような法的措置の可能性があるのか、という話になったり、韓国での家族法と「非婚」の実践についての話になったり、と。思いがけない展開だったのだけれど、案外、繋がるところでは繋がるものだ。

 ちょっと自分のなかで行き詰まり感があった「反婚」。またもや再燃の気配。




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