九電川内原発について

Yu-u22012-02-24

日本基督教団九州教区「地域と教会」伝道協議会

 主催: 日本基督教団九州教区 伝道センター委員会
 日時: 2012年02月24日(金)15:00−18:30
 場所: 川内教会 (鹿児島県薩摩川内市
 参加: 27名

 週末の集会に参加するために九州へ。幸運なことに、薩摩川内(せんだい)での集会があり、友人が参加するので一緒に行く?と誘ってくれたのだった。前日に北九州入りし、当日の朝に自動車に便乗し、南へ。約300キロの旅。・・・と言ってもわたしは途中から爆眠していて何も貢献していないのだが。

 幸運なことに、というのは、いくつもの意味で、なのだけれど、たとえば、九州電力川内原発の地元で原発反対運動を担ってきた方のお話をうかがえるということ、また、行きしなに少し時間をとって温泉に寄ろう!という話になったこと(さらに往復600キロの旅、ちょっと日帰りは大変だから、一泊して行こうということになり前日慌てて宿をとって、思いもかけずに温泉旅行となったこと)、そして、会場は学生時代からの友人がいる教会(+幼稚園)だということ。三つ目については、やはり、そこに行ってみないと、どんな雰囲気のなかで日常があるのかは、わからないので、訪れることによって少しは感じたりできるものもあるのではないか、ということを考えたりもしていた。実際には、ほんの少し垣間見えるくらいの話でしかないのかもしれないけれど。

 そして、実際に出かけてみて、いくつものオプションの幸運がついてきた。久々に会えた人、顔は知っているけれどこれまでゆっくり話をしたことがなかった人と少しはゆっくり話ができたこと、やりとりがありながらも対面してお話したことがなかった人と出会えたこと、などなど。
 しかし、ここのところ、地元・京都教区の集会には日程の都合のみならず、体調の都合で、参加することができていないのに、よその教区の集会に参加させてもらうってのも不思議なものである。…まあ、ともかく。

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 川内教会に到着後、まずは「九州電力川内原子力発電所展示館」の見学へ。学芸員(?)の方の案内つき。東京電力福島第一原発の事故以来、仙台原発の第3号機建設は凍結。ただし、「当面凍結」ということであり、計画はされているとのことであったり、いくつか展示も含めて、福島第一原発や、チェルノブイリのとの違いについて触れられている点もあり、「ここは安全」であるということがさりげなくではあっても、強調されているように聞こえた。

 使用済み燃料がドラム缶1万本余り、敷地内に置かれている。昨年には320本が青森(六ヶ所村の「核燃料再処理工場」)へと搬送されたという。原発は「休止」していたとしても、核の「ゴミ」が敷地内にあるかぎり、何かコトが起こったときに、それらの放射能が、空気や土壌を汚染する危機は、つねに横たわっている。

 学芸員さんは、本当に「安全」だと思って、この説明をしているのだろうか、などと考えたりもしたのだけれど、もちろん、そんなことはたずねられず。たずねても意味があるわけでもなし。ただ、考えさせられたことは、「安全」だと思っていようが、いなかろうが、働く場として、この原発も、そして町のさまざまな産業も成り立っている部分が大きいということだ。町には、いくつかあたらしいホテルが建っている。原発での労働者を見込んでの宿泊施設の建設。それは宿泊施設のみならず、飲食店についても同様なのだろう。いわゆる「過疎地」に建設される原発の問題は、その地域をまるごと「原発を抱えた町」として成り立たせていく構造が、そこには横たわっているのだと思う。

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 そして、講演。川内教会の前任牧師である山口寿明さん(現在、隠退牧師)。「教会と原発 ――20年間原発のある町で教会に仕えて」というタイトル。

 川内原発は、1964年に通産省原発立地予備調査のなかで地区指定を受け、同年、川内市議会が誘致を決定している。1967年に九州電力が具体的に川内ともう一ヶ所、佐賀玄海を指定。1979年に着工され、川内原発1号機が稼動したのは1983年のこと。ほかの地域と同様に、誘致賛成と反対とに町が二分されていくことになる。敷地の地盤は「いわくつき」とのこと。要は、断層が走っていて、地震に対して非常に脆弱だということが指摘されていた。にもかかわらず、1995年には第3号機・4号機の増設に向けての調査が開始された。3号機は世界最大級の巨大原発の計画だという。

 川内教会は、付帯施設として幼稚園を経営している。そこにやってくる子どもたちには、当然、九州電力や下請け会社である西日本プラントに務める保護者たちもいる。そのようななか、山口さんは原発反対運動にもかかわってきた。2001年には教会役員会として、3号機増設に反対することを表明。「教会全体として反対していくには困難がある」という状態であったという。きっと、それはいまもかわらぬことなのだろうと思う。

 地元の人に聞いた話では、「原発」という表現自体が、「反対派」という立場を示すものとして使われていて、価値判断をしない場合や推進派の人たちは「原電」という表現を使うという。そのあたりにも、とても繊細な状況が垣間見えるような気がした。

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 実際、自分がここで原発をめぐるあれこれについて考えていることは、なんとも言えない気持ちにもなった。
 後の講演の最中にも、そう感じたのだが、わたしはここでつくられている電気を、普段は使っているわけではない。わたしが普段使っているのは「電気供給率51%を原子力発電でまかなっています」と公式発表してきた関西電力の電気だ。現時点で、その原発はすべて「休止」しているのだが、日本でもっとも原発依存度の高い関西電力原発も、また、いわゆる「過疎地」に押し付けられてきたわけで、“自分たちの使っている電気がどこから来ているのか”を考えるためにも、あの「原発銀座」をあらためて訪れることが必要な気がしている。

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 終了後は、交流会へ。そして教会牧師館で二次会。さらにホテルに戻って三次会。
 翌朝、あまり時間もなかったので、ホテルの温泉にちょっと浸かって、北九州へ移動。しみじみと楽しい時間でした。お世話になったみなさん、ありがとうございました。

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↑ 道路の両側に原発推進派と反対派の大きな看板。「原発反対」の看板が立てられた後に、ひとまわり大きなこの看板が立てられたとのこと。両方を撮影したものは車のナンバーやら人やらが写っていたため、ここには掲載できないのだが。


↑ 川内原子力発電所の展示館。


↑ 展示館前の広場から見える川内原発1号機、2号機。それにしてもどこの原発も建屋のカラーリングが「安全」を醸し出しているような宣伝塔になっていると思ってしまうのは、わたしだけだろうか。


↑ 原寸大の模型。


↑ 同じく、炉心模型。


↑ 炉心模型までの距離掲示。これもなかなかにこわい。


↑ 翌朝に訪れた川内駅にて。あたらしい看板だったので、昨年の東北大震災以降につくられたのではないかと推測。

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↑ 集会終了後の交流会。宮崎地鶏の「じもん」に連れて行っていただいた。お料理はいずれも絶品!地鶏のおさしみ。


↑ 肉巻きおにぎり。


↑ くろじょこ。芋焼酎を前日から水で割ってあるものを温めていただく。なじんでまろやかになるらしい。これもまたおいしかった。


↑ そして、川内教会にお邪魔して宴会の続き。けんじさん(川内教会牧師)お手製の椎茸バター。これも絶品。大きな苺もいただいたのでした。


↑ なっちゃん(川内教会牧師)お手製のスイートポテト。集会のおやつだったのだけれど、結局、夜にもいただき、さらにおみやげに持たせてもらった。おいしかった。

 食べて飲んで、ホテルに戻ってからの三次会は酔っていたのか、まともな写真がないために割愛(笑)。
 ともかく楽しい時間でした。お世話くださったみなさん、どうもありがとうございました。





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