論文執筆

やらなければならないことが目の前に山積みになっていると逃避したくなる、という悪い癖で、この一年に執筆したものをアップしておきます。
それぞれのテーマは、執筆中にあらたな課題もみつかりつつだったので、追々、追究していきたいと思っています。

「他者の〈死〉という出来事 ――クィアすることをめぐって」
 『福音と世界』新教出版社、2013年2月号、28-33頁(2013年01月20日発行)。

→特集:いのちの倫理。
 昨今のセクシュアル・マイノリティをめぐる自死予防の流れ(政策提言など)における、ある種の「違和感」のようなものを問題提起的に考察。しばらく考えている〈弔い〉についての中間報告的な執筆でもありました。

ジェンダーセクシュアリティ領域科目の課題と可能性 ――大学における『人権教育』の観点から」
 立命館大学生存学研究センター『生存学』第5号、113−127頁(2013年03月15日発行)。

→特集1:教育の境界、境界の教育。
 人権教育の流れを概観。その流れに、自分が担当している「ジェンダー論」関連の講義にて、受講生たちの近年の反応の傾向(「結婚願望」の増加、性の多様性を認めつつも同性愛者への差別意識の顕在化)を読み解きつつ、その背景を探ってみました。
 執筆中に気づいたのは、1970年代以降の高等教育機関における「人権教育」が一種の「バブル」状態を生み出していたのではないか、ということ。「バブル」崩壊後、人権関連科目の大幅削減、担当者の非常勤講師化についても今後、詳細にみていく必要があると思っています。必然的に「バブル」を担った方々への批判を伴うものとはなるかと思います。

「女がロックを生きるとき ――ハードロックバンドSHOW-YAフェミニスト的読解」
 花園大学人権教育研究センター『人権教育研究』第21号、159−186頁(2013年03月31日発行)。

→久々にまったく新しい分野に挑戦。教室で出会った学生(ロックギタリストの女子学生)との対話からはじまり、1980年代に「女のロックバンド」の草分け的存在として活躍し、いまも復活後、活躍し続けている、SHOW-YAについて分析を試みました。
 規範的な女性のライフコースに乗らないあり方や、ロックというスタイルにおける女性の位置、そこからみえる「女性のエンパワメント」というフェミニズムのテーゼとの重なり。…この論文に関しては、まだまだやりたいことが多くあるので、続編を構想中です。(裏コンセプト:ただのSHOW-YAファンです。で、その魅力を読み手にお伝えすべく、かつ、わたしがいかにSHOW-YAに力づけられてきたかを冷静に分析しつづけようかと思っています。)


 

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