久々の更新です。

更新が途絶えて、早11ヶ月ほど。
多くの方々と同様、SNSTwitterFacebook)ではあれやこれやとアップしているのですが、こちらは放置したままでした。

基本的には相変わらずの日常ではあります。
ただ精神的に大きく変化したのは、昨秋の出来事からでした。
学休期間に訪れた知多半島での研究会合宿の早朝、実家から連絡があり、妹の訃報を聞きました。
あれ以降、心ここにあらず、というか、なにか世界の色が変わってしまった、というか、そんな感じです。

いまのわたしにとって、妹が一人娘を遺してくれたことは、せめてもの救いです。この(やんちゃなティーンエイジャーである)娘の顔を見に、しばしば実家に戻っていますが、かのじょが自分なりの「幸せ」をつかみとって行ってくれることが、目下の願いです。

葬儀のための渡米に際して、キリスト教関係のつながりのなかで、また、セクシュアル・マイノリティに関する活動のつながりのなかで、多くのお励ましとお支えをいただきました。本当に感謝です。
2012年度から大学での非常勤講師の仕事以外にも、イレギュラーに新しい仕事にも就いているのですが、この仕事(二つの職場)をやっていて良かった、とも思えた時間も多くありました。

いまさらではあるのですが、2013年7月にミニコミにスペースをいただいている連載に文章を書きました。
カンパの行先がどうなったのかという問い合わせを、キリスト教関係者の方から受けて、ご報告もできていないことを反省しながらしたためた文章です。
一部、固有名詞を抜いて転載しておきます。

あらためて、お支えくださっている方々にお礼申し上げます。

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関東神学ゼミナール通信『fad』第62号
(2013年07月発行)

感謝とお詫び、そしてご報告 ――〈弔い〉の渦中で
堀江有里

 今回は紙面をお借りして、感謝とお詫び、ご報告を述べさせていただきたいと思います。

 昨年の秋、ロサンゼルスのハリウッドに生活していた妹(享年41歳)が急逝しました。とりあえず、父母の生活する神奈川に赴き、とりあえずの段取りを考えた後、母と弟、親友の息子と四人で渡米することになりました。このような事態のなかで「関東神学ゼミナール」の呼びかけで、KHさんとNTさんが中心になってカンパを集めてくださっていることを知ったのは、しばらく後のことでした。多くの方々にお支えいただいたことを心より感謝しております。ありがとうございました。

 いただいたカンパは、セクシュアル・マイノリティに関するサポート業務に携わる仲間たちからいただいたカンパとあわせて、全額、現地での葬儀費用と渡米のための航空券代金、そして渡米前後の実家への往復交通費として使わせていただきました。関係者のみなさまには、ご挨拶がずいぶんと遅れてしまいましたことをお詫び致します。本来であればお一人おひとりにご連絡すべきところですが、後述のような事情により、感謝とともにご報告させていただきたいと思います。

                  * * * * *
 2012年9月16日の早朝、父からの電話を受けたのは、知多半島の南側にある篠島で研究会合宿をしている最中でした。妹が亡くなったという知らせでした。突然の訃報というものはあまり実感の湧かないものです。うまく現実をつかみとれないままに、まずは親友たち三人に電話をしました。日曜朝という教会関係者にとってはとても多忙な時間帯であるにもかかわらず、かけ直してくれた友人たちに支えられた気持ちでした。幸い、研究会合宿のメンバーもとても信頼している三名。事情を話し、合宿を中断してわたしを名古屋駅まで送る、という決断をしてくれました。普段から周囲の人々の支えられて生きているわけですが、このときも一人で訃報を受けずにすんだことを後に振り返って、大きなことであったと感じています。

 わたしたちは、9月20日(木)、ロサンゼルス空港へと降り立ちました。検死局、葬儀社へと出向きました。渡米する前に相談した結果、本人が好きだったロサンゼルスに散骨することにしました。葬儀は、25日(火)にポート・オーコール(Port O’Call)の船上にて、わたしの司式により執り行いました。急であったにもかかわらず、近所の友人たちやケースワーカーを含めて十二名の参列。妹の親しかったミュージシャンによる演奏や歌、熱心なクリスチャン(こんな友人がいたとは驚きでしたが)のメッセージなど、思いがけない“ギフト”が与えられました。沖合では、海を越えて、最後まで妹に寄り添いつづけてくれた、わたしの横浜時代からの親友・YOさんが手配してくれた真っ赤な薔薇の花百本とともに、とても静かな海の底へと遺灰を沈めることとなりました。

 また、友人たちが参列してくれるということでプログラムの英訳については、急遽、SYさんが引き受けてくださることになりました。そして裁判所に提出する書類をASさん(研究者の先輩)が英訳してくださいました。
 このようなたくさんのつながりのなかで支えていただいたことにも本当に感謝しています。

 訃報を聞いた後、渡米して帰国するまで慌ただしかったので振り返ることもままならなかったのですが、帰国後、少しずつ現実が迫ってくるものです。おそらく、妹を失ってしまったという欠落感や、さまざまな思いに寄り添いきれなかった自責の念は、ずっと自分のなかに残りつづけるであろうと思います。シングルマザーとして生活していた妹が遺した一人娘、そして最後まで一緒にいたウサギのアレキサンドラも後に帰国し、いまは実家で祖父母とともに葛藤しながら生活しています。

                   * * * * *
 ここ数年間、わたしは活動と研究の一環として、セクシュアル・マイノリティの自己肯定の困難と、これまでに見送ってきた死者(自死や病死など)をめぐって、〈弔い〉という営為について理論的に考えてきました。まさに、その〈弔い〉の渦中に、妹の出来事があったわけです。米国でも日本でも「家族」という枠組の縛りは大きく、今回はその現実を目の当たりにした日々でもありました。それはこれまでの「仲間」たちの死とは異なる側面です。それでもなお、いくつも重なり合った〈弔い〉はわたしのなかで今後も継続して行くのであろうし、いまの活動や研究をつづけていく以上、その〈弔い〉を言葉にして行くことがわたし自身の使命のようなものだとも感じています。

 〈弔い〉という営為自体は、孤独な作業でありつつも、これまで、そしていまも多くの方々に支えていただいているように、まさに人々とのつながりのなかで行っていく作業でもあると痛感しています。
 〈弔い〉について、哲学者の小泉義之は、こんなことを述べています。

「誰かが死ぬ、私は生きている。誰かが死ぬことと、私が生きていることのあいだには、何の関係もない。誰かの死と私の生は、徹底的に断絶している。誰かの死と私の生の断絶を、思い知ることが弔うということである。
 しかしこのような断絶を人はたやすく見失う。おぼろげに見てはいても、それを直視することに人は耐えることができない。というのは、誰かの死と誰かの生が、この世ではいつも関係づけられてしまうからである。ほんとうは断絶しているのに、そこには何らかの関係があると思いなされてしまうからである。そのような思いは〈妄想〉である」(小泉義之、一九九七、『弔いの哲学』河出書房新社)。

 生者と死者のあいだにある断絶を認識することも、関係を〈妄想〉だと断言されてしまうことも、厳しいことではありますが、その現実をしっかりと見据えつつ、生き延びていくことが生者に課せられた出来事なのかもしれません。

                  * * * * *
 先日、「堀江さんの渡米のためにカンパしたけれど、ちゃんと届いているの?」とたずねられ、あらためて、お支えくださった方々にきちんとご報告すべきだと思い、このような文章を執筆することにしました。「関東神学ゼミナール」でカンパを集約してくださったKHさんとNTさんは「余計な心配をしないように」と、どなたがカンパを寄せてくださったのかはわたしには伝えないという配慮をしてくださっています。すべての方々には届かないかもしれませんが、みなさんのお支えを感謝しております。ありがとうございました。

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まだまだ困難はつづくとは思いますが、ひとまずのご報告でした。
また折を見つつ、更新できれば、と思っています。

                  * * * * *

【付記: 2013年08月05日】

 facebookから連動してこのエントリーを書いてから、複数のレスポンスをメールやDM(facebookおよびtwitter)でいただきました。申し訳ございませんが、お返事できておりませんし、今後もしばらくできないと思います。どうかご了承いただければ幸いです。

 とくにキリスト教関係に関してましては、「カンパのお願いが回っている」という情報を得た時点で、辞退させていただくべきでした。言い訳にすぎませんが、まったく余裕がなく、動けなかったことを心よりお詫びいたします。カンパをいただいてしまったことで、今更ながらですが、大きな「負債」を抱えてしまったことを自覚することとなりました。ただ、この「負債」に関しましては、そもそも「家族」という概念自体を問うことを、わたし自身、常としておりますため、「遺族」というよりは(そもそも妹がいなくなったことに関しては、それ以前の段階より、「血縁」以外のネットワークのなかでの支えがあったので)、わたくし個人として受け止めさせていただくことをご了承ください。

 「報告できる程度には元気になった」ように見えるというご意見もいただきました。おそらく、いちばん近くにいた母や父、姪、親友のやもちゃん、LAの人たちよりも距離はあるのでしょうが、わたし自身もなにがしかの「解離」状況を抱きつつ、この11ヶ月間を歩んできたのだと思います。渡米初日に葬儀屋で棺を見送った光景は、いまだに毎日思い出します。もちろん、写真も整理できていません。それにまつわり、まだ、誰にも語ることのできな出来事がいくつかあります。…京都に生活していたわたしですら、こういう状況であるのであれば、連絡を取り合っていた人々にとっては、おそらく、わたしの想像以上の出来事が、いまもあるのだと思います。このような公開の場にて、表現してしまうことは、なにがしかの記憶を呼び起こすことになるのでしょうし、それを恐れてもいます。

 「遺族」は哀しみの淵にずっと留まっていなければならないのだろうか。…いまはそんな思いを抱いています。少なくとも、わたしは「幸せになってはいけないような気がする」と言っていたという姪の言葉を否定したいと思います。そのために、精一杯、自分自身が日常を過ごしている姿を見せていきたいと思っています。自責感は一生消えることはないと思いますが、それは、わたしにとって、遺された人間の「宿命」だと思うからです。

 今回は、セクシュアル・マイノリティ関連の活動に携わる方々にも、カンパをいただいております。後回しになってしまい、申し訳ございません。こちらの方々に関してはきっと大丈夫だろうと、甘えさせてもらっております。ただ、あらためてではありますが、この仕事や活動に関わることができ、ほんとに良かったと思っています。おそらく、このネットワークがなければ、わたしは〈いま〉までを乗り切ることができなかったと思うからです。昨秋もそうなのですが、ここ数日間も、支えていただいていることに本当に感謝しています。

 いずれにしても、「負債」はおそらくみなさんに納得していただけるかたちで返済できるわけではないのですが、今後、自分なりに考えさせていただきたいと思っています。どうか、時間をください。

 ほんとうは、誰よりも、妹にあやまらなければならないのだとも思っています。不甲斐ない姉で、本当に申し訳ない、と。
 1995年の夏、大き目のODの後、休職中に訪れたロサンゼルスにて、あなたが、「おねえちゃん、プライド持たなきゃダメだよ。こっちの人たちは虹色の旗をシンボルにしてるんだよ」と、ハリウッドのレズビアン&ゲイ・センターに送り出してくれたことを誇りにして、あなたの分まで生きたいと思います。




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礼拝説教

Yu-u22013-07-28

日本基督教団翠ヶ丘教会 平和聖日特別礼拝

 日時: 2013年07月28日(日)10:30−11:45
 場所: 日本基督教団翠ヶ丘教会(神奈川県相模原市
 説教題: 境界を超えること
       (マルコ 07:24−30)

 しばらく前に「もし東京方面に来る予定があるなら」と、大学時代の先輩にお声をかけていただいた。教会の暦では一週間早いのだけれど、平和聖日として、ということで。
 わたしは、一応、牧師なのだけれど、礼拝で説教を担当することは滅多にない。あっても年に1〜2回といったところだろうか。また、依頼を受けた後にキャンセルされることも、これまでにも経験しているので、役員会での承認を受けるまでは、いつも冷や冷やしながら結果を待つ。
 そんな意味でも、今回はとても貴重な時間だった。翠ヶ丘教会のみなさんに心より感謝しております。ありがとうございました。

                   * * * * *
 出身校である横浜共立学園中学・高校の先輩(というか同窓の方)や、わたしが入学する前まで教鞭をとられていた方にもお会いできて、嬉しい時間だった。

                   * * * * *
 終了後は、隣の教会に「お茶でも飲みに来ませんか?」とお声をかけていただいて、移動。牧師は夏季休暇でご不在だったのだけれど、教会や、はたまた他の近隣教会の方々、合計10名ほどの人たちと、地域の活動(とくに野宿者支援)のことについて、教会の歩みについて、お話をうかがうことができた貴重な時間だった。
 ところで半数の人たちは初対面。そういえば、自己紹介もせずだったなあ、と思ったり。また、そのなかのおひとりが同性愛者の人権運動に関する先輩だったことを帰り際に知ったり。また、そんなお話もゆっくりとできたら、と再会を願いつつ、帰路に着いたのでした。

 お世話くださった方々、ありがとうございました。

[2013.08.04記]



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SHOW-YAが新曲リリース

Yu-u22013-07-24

SHOW-YA

 「V.S.MYSELF」


 23年ぶりの新曲だそうです。
 「V.S.MYSELF」…バーサス・マイセルフ。
 コンセプトは“自分との戦い”だそうです。そして、“SHOW-YA史上、最速の楽曲”だそです。たしかに、間奏のmittanのドラムがハンパなくカッコイイ!!です。

 以前にも書いた(ここ)のですが、遅ればせながら、SHOW-YAがメジャーデビュー時の第一期メンバーで「復活」していたことを知り、それ以降、はまっています。…と言っても、離れていたわけでもなく、カーステレオ(いまだにカセットテープ)では20年以上聴き続けているので、昨年がわたしにとっての「SHOW-YA元年」というわけでもないのですが。

 SHOW-YAの公式サイトはここ
 新曲がリリースされるという情報を得て、早々に特典付予約。24日の午前中には宅配便で到着。2013年に開催された「NAONのYAON」の映像が収録されたDVDとセット。
 1980年代の第一期SHOW-YA時代の「奪いとれ」がカップリング曲で入っているのだけれど、今回のアレンジ、むちゃくちゃカッコイイです。

 7月5日にリリースされたMVは、24日にはさらに2ヴァージョンの公開も。わたしがいちばん気に入っているのは、これ。

 「V.S.MYSELF」井上貴子さんバージョン


 …で、この日から、わたしは女子プロレスにはまることになりました。笑。
「え?なにこれ、かっこいい」、と。
 今回、MVに参加されているのは、LLPW-X(公式サイトはここ)に所属していらっしゃるレスラーの方々。
 
 ちなみにMV撮影についての報告は、井上貴子選手の旧ブログではここ、そして移行先の新ブログではここにもありました。

 最近、ツイッターをはじめられた井上貴子選手には、リプライもらったりして大はしゃぎです。こんなミーハーな(<死語?)日々で現実逃避しつつ、なんとか日常を乗り切る戦略ということで。

                 * * * * *
 今日の一枚にアップしている写真は、昨年2012年11月11日に訪れたSHOW-YAライブ(於:梅田AKASO)のもの。秋からバタバタしていて、まだ地面に足が着いている感覚がないままに過ごしていた日々のなかに訪れた大興奮の一日でした。

 握手会では緊張して、大好きな角田“mittan”美喜さんには、「ドラムソロ、感動しました」としか述べられなかったのだけれど。まさか40代半ばになって、こんなにはまるとはね、という感じではありますが、いまのわたしにとっては、大事な日常の活力です。

[2013.08.10記] 








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ゲストスピーチ

Yu-u22013-07-22

新潟大学「国際人権法」「平和学入門」

 日時: 2013年07月22日(月)
      08:30−10:00、11:55−12:45

 場所: 新潟大学新潟市
 テーマ: 日本における同性愛者の人権 ――相談業務の事例から


 国際人権法の研究者でいらっしゃるYSさんにお招きいただき、ご担当の講義にてゲストスピーチの機会を与えていただいた。1限目の「国際人権法」(法学部学生対象)、オナーズタイム(ランチタイムに特別講義として開講されている科目)の「平和学入門」にて。

 主たる内容は、ECQAで相談業務を請け負ってきたなかで見えてくるセクシュアル・マイノリティの置かれた現実、というあたり。そのほか、そこから出発して、自分自身が活動をしているなかでのモチベーションや、目指すところ、など。

 重複して受講している学生もいるとのことで、内容については若干変更。久々に自分史を含めてのアドリブも織り交ぜながら、となった。こういうアドリブを挟み込めるのは、わたし自身も安心して話をできる場所に限られている。今回、お声をかけてくださったYSさんは、とても信頼できる研究者の方で、かのじょのキャラクターもあり、安心して話をさせていただくことができた。

 YSさん、そしてKFさんに泊めていただき、お忙しいお二人をさらに三日間の滞在中に引っ張り回したり、とてもとてもお世話になってしまいました。ありがとうございました。

 このお二人に出会ったのは、法学系の研究会のお仲間に入れていただいたときのこと。数年前、いろんな人間関係のなかで「わたしはもうこの業界ではやっていけないのかもしれない」と、(いつもの通り)かなり落ち込んでいたところ、声をかけていただいた研究会。まったくの専門外で、的外れな質問をも受け止めてくださったことにも感謝です。わたしにとっては「恩人」な方々です。

[2013.08.08記]

             
                  * * * * *
人物が写っていない写真の一部を…。


伊丹空港から出発。





↑到着初日は「鮨豊富(とよとみ)」さんに連れて行っていただきました。
お刺身盛り合わせ、水ダコ、エビフライ、南蛮えびのガラを含め豊富な海の幸のお味噌汁、などなど、たくさんおいしいものをいただきました。
宮崎ご出身という大将から、新潟のおもしろさについてもたくさんうかがうことができました。



↑そして、さらに家飲み。新潟の日本酒はおいしかったです。




↑新潟滞在2日目は、ワガママを言って、村上までドライブ。新潟大学のWさんの車に乗せていただいてのドライブでした。
今年になって初めての海!
天候が良くないので水が澄んでいない、というのは、地元の方々の言でしたが、それでも湘南育ちのわたしにとっては、とても綺麗な海でした。澄んだ海水に足だけ浸しながら。




↑村上の目的地は、海辺のレストラン「キャプテン」(サイトはここ)。
法学の研究会でご一緒させていただいているESさんのご実家です。噂をうかがい、いつか訪れたいと思っていたところ。
ドライカレーのセットをいただきました。おいしかった!
その後、紫蘇ジュースやケーキなど、もろもろ出していただき、食べつくして帰ってきました。ご馳走様でした。




↑さらにWさんのご案内で村上市街へ。「味匠喜っ川」の見学。



↑帰り道の飛行機から夕焼けが見えました。今回は、かなり後ろ髪を引かれながらの帰路。
シゴトというよりは、久々に新潟のお二人やお子さんにお会いできて、ゆっくりさせてもらった感じ。とてもゆったりとした、そして楽しい時間でした!







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インタビュー掲載

「ふぇみん」第2999号  (2012.09.05発行)
インタビュー記事「キリスト教異性愛主義を問う牧師:名乗る「特権」を引き受けてゆく」

 婦人民主クラブ発行「ふぇみん婦人民主新聞」の巻頭インタビューにて、ご紹介いただきました。こちらに一部、掲載されています。
 インタビュアーは、わたしが尊敬しているライターの社納葉子さん。インタビューを受けつつ、自分が「レズビアン」を名乗って活動し始めた前後のことや、それ以前の学生時代のことを思い出したりしながら。苦い思い出も、淡い思い出も、それなりに消化されつつあることを自分のなかで確認する作業でもありました。

 それにしても、京都駅前の某カフェでの取材中、たまたま、数年前にわたしの担当している講義をとっていたという学生さんが隣の席に座っていたりして、驚き。声をかけてくれたのですが、いろんなところに行っていると、こんな人ゴミのなかでも偶然の再会ってあるのね、と感慨深い時間でもありました。




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ライブ参戦。

Yu-u22012-07-29



寺田恵子さん
ソロデビュー20周年 & Birthday LIVE 〜Wish you are here〜

 日時: 2012年07月29日(日)17:00−20:00
 場所: 目黒Blues Alley Japan

 更新せぬままに、もうしばらく時間が経ってしまったのだけれど、これだけはアップしておかなければ。笑。今年の夏、わたしにとっての一大イベントとなった、東京行き。会議や研究会などの出張をかねて、東京に訪れることは少なくはないのだけれど(数年前に比較してずいぶんと頻度は減ったものの)、まったく、遊び目的で訪れることは、なんだか久々の出来事だった。

 知る人ぞ知る、ではあるのだけれど、わたしは10代の多感な時期より、ハードロックが好きで、以前はギターを弾いたり、中学高校時代にはバンドでライブ活動をしていた。大学時代に、大事故を起こして体育会自動車部を中途退部してから、同じ学部の友人に誘ってもらって一年半ほど、ふたたびバンドを始めたりもしたけれど、当然、ハードロックのギターが弾けるわけでもなく・・・。その後、まともに楽器には触れていないような気もする。教会で働いていた時代に、少し、伴奏でギターを弾いていたくらいで。

 しかし、まあ、音楽のない生活は考えられず。車に載っかっているカーステレオはカセットテープ仕様なので、ハードロックが大好きだった頃のテープはいまもずっと聴き続けている。

 ある日、ツイッターで懐かしい動画のやりとりになった。詳細は端折るが、まあ、とにかく、遅ればせながら、あの、SHOW-YA(公式サイトはここ)が、2005年にオリジナルメンバーで再結成+復活していることを知った。なんと今年の3月にはアルバムも出ているわけだ。

 ほいで、そのアルバムに収録されている新曲を聴いて、これまた驚愕。


こりゃあ、すげーーーっ!!
圧倒的にバージョンアップしているではないかーーーっ!!
しかも、大好きなみったんのドラムが、すっげーーーっ!!
むっちゃくっちゃ、かっけーーーっ!!


 ということで、その後、you tubeでの検索はもちろんのことなのだけれど、新しいアルバムもゲット。どうしてもライブに行きたい、という気持ちは盛り上がる一方ではあるが、秋まで、予定がない。近いところでみると、寺田恵子さんのライブが東京であるくらい。・・・ってことで、アコースティックライブって書いてあるにもかかわらず、向かうことになった。
 今回、犠牲(?)になったのは、地元のマブダチ☆やもちゃん(横浜在住)と、その息子ゆうと。で、三人でライブ参戦することとなった。やもちゃん、ゆうと、ほんとにありがとう☆ 持つべきものは、友だちである。

 張り切りすぎて、一時間くらい前に現地へ。しかし、整理番号が発行されているので、そんなに早くに来る人たちは、そうそういるわけではない。がしかし、嬉しがりで得したことは、リハーサル中の音が重厚な扉から漏れ聴こえてきたこと。これはラッキーな出来事。

 開場の一時間後からの開演。そのあいだ、あれやこれやの話をしながら。それはそれでとても大事な時間だった。うちの家族のこと、その近況。なぜ、親友から、自分ちの家族のことを聞かせてもらっているのかは、ちょっとナゾだったりもするのだけれど、遠方にいるわたしにかわって、やもちゃんが、いろいろとほんとに親身にサポートしてくれていることを痛感する。これは、持つべきものは友だち、って言えるような能天気は話ではないのだけれど。

 20年前のソロデビューとなった「Paradise Wind」が大音響で流れ、寺田恵子さん登場。MCで会場を笑いの渦に巻き込みながら、SHOW-YAの曲やいくつかのカバー、そして、恵子姐さんの“原点”らしい、カルメン・マキの「空へ」など。今回はジャズも。
 二部構成のライブは大いに盛り上がったのでした。楽しかった。そして、恵子姐さん、やっぱり、カッコ良かった。49歳。40代最期のソロライブになるかも、とのこと。たくさんたくさん元気をもらってきたのでした。

                  * * * * *
 じつは、興奮ポイントは、もうひとつあったわけで。
 開演直前、一服しようと外に出て帰ってきたら、やもちゃんとゆうとが「みんな、後ろを見てるんだけど、誰か、有名な人?」と問う。はたとVIP席に目をやれば、そこには、SHOW-YAのドラムのみったんが。キーボードのキャプテンも。とにかく、3メートル先に、みったん、という状態だったわけで、じつはステージよりもそっちが気になって仕方がないのでした。
 それどころか、第二部の最後には、「スペシャル・ゲスト、みったん!」ってことで、カフォンで登場。ここ数年、こんなのないぞ、ってくらいのテンションの上がりようだったわけです、わたしは。

                  * * * * *
 SHOW-YAのメンバーたち、それぞれのブログなんかを見ていると、結婚していない人たちが多い。かつては日本武道館を一杯にしたバンドも、いまはインディーズで活動。それぞれ、移動しながら仕事を続けている人たちもいる。
 わたしにとっては、ちょっと上の世代の人たち(女たち!)が自分のやりたいことや、やるべきことを極めて、そしていまもやり続けている姿。それは、とてもとても勇気付けられるものである。
 もちろん、やっていることも、生きている世界も、人に及ぼす影響力も、まったく異なるのだけれど、それでも、わたしも精一杯、やっていこうと思わせてくれる時間だった。

 秋には大阪でのライブにぜひ参戦したいものだ。それまで、バイト掛け持ち+非常勤講師稼業、なんとか乗り切っていきたいと思う。

 しばらく、続いたので、まだまだ続くと思う。あたしの、SHOW-YAフィーバー。


[2012.08.31記]




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嗜みごと。

Yu-u22012-07-23



手巻きタバコ (2)


 今週のフレーバーシャグは、Surfsideのテキーラサンライズ
 先週、滋賀方面の仕事の帰りに入手したもの。同じくSurfsideのピニャコラーダが気に入ったので、ほかのフレーバーも試してみようということで、今週は、これを巻くことに。
 付属品の巻紙がちょっと厚めで燃焼速度も速い気がするし、テキーラがベースだからか(?)ちょい辛めな感じ。ほのかにオレンジの香りも。グレナデンのフレーバーも入っているのだろうか?

 個人的には、ピニャコラーダのほうが好み、かな。



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